Doom And Gloom

日々の思うところや備忘録代わりのメモをここに。書いている人の事はカテゴリProfileをどうぞ。

カテゴリ: Think

何のこと

 最近『戦争は女の顔をしていない』が100分de名著で取り上げられていた。一方自分で『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』を読み終えた。この二つはまあ全然違うことが書いてあるのだけど、ふと「小さい歴史」「大きい歴史」的な捉え方をすると前者なのだなと思った。

戦争は女の顔をしていない

 大きな物語の代表である戦争を、旧ソ連軍に志願して参加した女性兵士達の証言で描いている。それはとても個人的な、小さな世界の物語となっていて大きな歴史と対比する形となって女性の口から語られていく。それは日常のことであったり恋愛のことであったりオシャレのことであったり。

 戦争という大きな物語の中で翻弄されながらも紡がれた小さな物語たち。歴史の大きな流れの中ではかき消されている小さな声。そういったものをアレクシエーヴィチは聞き取り書き残している。

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー

 こちらも英国で暮らす日本人女性の子育て記でありつつ、その中には現代の世界が抱える多様な問題 について平場の一市民目線で語られている。子供の学校の生徒の国籍の話とか、移民の子が更に差別的な言葉を使うくだりなどはブルーハーツの『弱い者たちが夕暮れ さらに弱いものを叩く』という歌詞を思い出さずにはいられない。

 そして英国の小さい話の中には移民やブレグジットの問題も絡んでくるわけで。読んでて割と泣ける。

で、何。

 大きな物語と小さな物語、これらのうちどちらかだけを見ていると大きなものを見落とすのではないか、そう思っている。人によってはあえて片方を見ず、自分の考えを研ぎ澄ませる人もいるとは思うけど、自分は、そしてできたら子供にも、面倒でも両方見て、感じて、考える人になってほしいかなと思う。

 この両方というのは大事だと思っていて、例えば80年前に日本が始めた戦争について、子供の頃よく夏にNHK教育とかで戦争体験を後世に伝えるためにおじいちゃんおばあちゃんが話す番組をやっていた。自分も見たけど。もしあれだけしか見なかったら「戦争は悲惨だ」と言う事しか理解できない。自分ではそれだけでは足りないと思っていて、それが何故起きるのかについての色々な角度からの話を学ばなければならないと思っている。なので戦記物を読んだり証言集を読んだり映画を見たりとかしている面がある。

 もちろん証言番組自体は見てよかった。ベースとして戦争は良くない。の実例を知ることができたから。でも特に左派は戦後全く戦争観をアップデートできずただただ「戦争反対」としか言えなくなっていて、それはもう支持されないと常々思って言う。キチンと『今の戦争』に目を向けて新しい現代の流れの中で普遍的な価値、考え方、話し方、見せ方をしていかなきゃ。それには今の戦争について。大きな物語についても知らなければならないのではないか。特にすでに戦争体験世代が証言できるような年齢ではなくなった現代では。

 そんなことを上記の2冊を読んだりEテレの『100分de名著〙を見て思った。

全体的に

 基本的には外出は近場のみ。公園にいくとかそういうやつ。子供ができてからそんなGWはなかった。去年と変わらずといえば変わらず。ハイライトは5/4に行った池袋東武の子供眼鏡屋さん。

5/1

 初日。長女の保育園時代の同級生たちが井草の森公園に行くというので家族で行く。俺はいつも通りの「連休に入ると体調が崩れる」症状でぐんにゃりしつつ同行。ものすごく使い物にならない感じだった。それとセナとラッツェンベルガーの命日だということを思い出す。

5/3

 日曜。おにぎりを作ってくれたので近所の公園にいく。長女も自転車がいい感じに漕げるようになってきて感慨深い。

5/3

 おりえさんが子供とシャボン玉液を自作して遊ぼうとしたが、どうも材料がよろしくなく失敗。ならばとWebでおすすめされた洗濯糊を探しに子供と散歩がてらお出かけ。天気も良く割と疲れた。

5/4

 シャボン玉リベンジ。が、課題が見つかる。またこんどリベンジしよう。その後子供の眼鏡の調整のためにあんふぁんへ。池袋東武の店舗は予約すると従業員通用口から入店するという、なかなか貴重な体験をさせてもらう。東武自体はお休みなのでそのような対応になったが、大変助かった。あ、あと池袋に行ったのでジュンク堂に足を延ばすも子供対応で自分が気になる本は見れず。無念。

5/5

 ぐんにゃりしつつ夜は義母の誕生日を祝うなど。

いつも通り体調も崩しつつ、それでも子供たちと過ごす時間をいつもより取れたのでそこは満足。一方で自分の読みたい本を読み終えるという点ではだいぶ影響が出てて無念。今度も週末を使ってそこのノルマをクリアしたい。

 みんな全体国家好きすぎじゃね?という話

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 会社は4月6日から、自分は4月13日からリモートワークの人。おりえさんの仕事がない日は朝俺がお弁当を作って、それを持って近所の公園に子供と出かけたりして対応してもらっている。おかげで仕事中に問題はほぼ起きていない。感謝。

良い点

  • 通勤がない
  • ギリギリまで子供の相手をしていて定時過ぎたらすぐにまた子供の相手ができる
  • 家なので静か

悪い点

  • 仕事の打ち合わせ、Zoomにだいぶ慣れてきたけど、隣のエンジニア君に声かけるようにはいかない
  • 意識して対応しないと新人君なんかが置いてきぼりになる
  • 仕事終わって仕事部屋からリビングに行くと、急に環境が変わり過ぎてちょっと微妙な気持ちになる

何について書いているか

大木毅『独ソ戦』について、友人が紹介してくれた他の人の感想についての感想。なのでこのエントリだけ読んでも訳がわからないと思われる。

何故書いているか

すこし納得できない部分のある感想文を読んだから。

何が納得できないのか

  • ヒトラーについての認識はわかる
  • 自民党政権が嫌いなのもわかる
  • 歴史上の独裁者と現在の日本の首相を並べて語ることに反対
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雑記

 下記のサイトをたまたま見つけて思い出した。ランボーは1の最後のシーンがとってもよいのだ。娯楽映画の中に当時のアメリカで問題になっていた ベトナム帰還兵の問題がざっくりと刺さる感じ。

 そしてついでにランボー2のラスト。これもいい。「彼等が国を愛するように、国も彼等を愛して欲しい」というのはきっと当時の帰還兵の気持ちなんだろうなと思う。

 最近は帰還兵の問題がまり語られないけど、2015年に和訳された「帰還兵はなぜ自殺するのか」など問題は当然存在しているわけで。さらにベトナムの頃と違い、アメリカ国内の基地から中東の前線基地にあるドローンを操縦してISその他の勢力の兵士を攻撃する任務がある。これは死なない代わりにPTSDになる兵士がいるそうだ。理由は「ドアの外に出るとアメリカ」「ドアの中のモニタ内は現地の映像で、相手を誰に殺されたのかもわからない距離から撃って殺す」というところにあるらしい。

 もちろんこのエントリにオチなどないので、ここでおわるが、ランボー、見たことない人はラストだけでいいので見てもらいたいなあ。

ソース(?)

 昨日阿佐ヶ谷の立ち飲み屋でビールを飲んでいたら隣にいたお兄ちゃんが、元飲み屋の店員で話を聞いた。サラリーマン生活の後何箇所かで修行していて、現在は昨年末でお店をやめてフリーになっていると。そしてグチっぽい話を聞きつつおすすめの店という瑞貴というやきとん屋まで行った。

 飲み屋で初めて会った人と河岸を変えてまで話すことは初めてなのだけれども、まぁなんていうか「いろいろ知っているけど何もしていない」みたいな人だった。何をするか模索中なのかなという気もするけれども、「知っている」だけではどうも良くないようだ。「この店のこれがうまい」「あの店のこのメニューは絶品」なるほど、そうかと。友達でいたらちょっと面白いかもしれないんだけど、人一人分のなんていうか中身としてはそれだけでは物足りないというかもったいない。

 というところで自分のことを考えると、行動を起こさないとやはりダメなのだなぁと思う。そんな夜だった。

行ったお店

 業務システム構築の仕事をしていると、効率化によってその業務に割く人員を減らせる、という場面がある。パートさんにお願いしていた入力作業がなくなるとかそういうの。通常はそういうことをすると経営層からは喜ばれる。喜ばれるからイニシャル数百万のコストでも払おうかなという気になるわけだけど、このリンク先の話は地獄だ。「何のためにその業務があるのか」もっと大きい話をすると「何のためにビジネスをしているのか」ということが理解されていない場合に起こりがち。部分最適してしまった人が「自分が今やりやすくなってるんだからこれ以上変えるな」といいだして全体最適ができない、みたいな。そんな会社はすぐやめたほうがいい。ストレスが溜まるだけだから。

 ここ最近チェックしてる東大の特任准教授がアレな件、文春オンラインに新たに下記の記事が出てた。

そしてこれに対して件の特任准教授が

こんな反応をしてるんだが、大変面白い。この人の会社の従業員はどんな顔してこの方の顔をみているのだろうか。

 先月の末に見かけた記事。筒井康隆氏が表現の自由に関連してあいちトリエンナーレ問題についても言及していた。短いけど面白かったので。

 中嶋悟が語るセナの話。記事は2014年にセナ没後20年ということで2014年に企画されたものらしい。前後編でF1好きなら面白い記事。中でも私はここが超大切に思えた。

 当時のドライバーたちは、レース中に接触することも厭(いと)わない、命がけで走っていたなんて、そんなバカなことはあり得ません。そんなことは冗談でも言えないですよ。もちろんF1は身体をはって限界に挑むスポーツだと身を持ってわかっていますし、時には相手のことを「この野郎!」と思いながら走ることもあります。だからといって捨て身になって、命をかけてやるものではない。命をかけないように、自分の技と経験を駆使して戦うんです。

そんでこれを読んで、以前何かで読んだんだけど、サッカーのW杯でクロアチア代表の名選手ボバンが

 『サッカーは戦争だ』なんて言うやつは、本当の戦争を知らないんだ

と語ったのを思い出すなど。もちろんボバンの件は、当時のクロアチアがユーゴスラビアからの独立とその後の内戦があってのものなので、より重い話だけれども。

 政治的な考え方が合わないのは全然いいんだけど、例えば「アベ政治を許さない」みたいなスローガンが嫌い。「安倍自民」もそう。例として左派をあげただけで右派についても同様に頭がおかしいと思っているんだが、端的に下品でしょうと。あれの起源はなんなのか。学生運動の頃とかだろうか?わからん。

 ていうか自分はむしろ他の主張に賛同できても、ああいうフレーズで運動をしているだけで支持できなくなるのだが世間様はきにしないんだろうか。でもきっとあの様なフレーズで活動している人たちは問題ないと思うんだろうなぁ。世界を友と敵にわけてスッキリと世界の見通しが良くなった気持ちになり、「敵」については配慮なく叩くという人々。

などと考える月曜日。だるい。

 下記の記事を読んだ。学力の比較になぜ数学だけを利用するのかわからないが、他国との比較上なのかもしれない。私のいる会社は女性の社員が約半分。システム開発関連ではまあ多いほうかも。2001〜2004年までいた会社は9割男性だった。

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 この一年ほぼ放置していたこのブログ。昨年からはてなにもう一つブログを作って、そっちに引っ越そうかと考えていたがやめた。移行が面倒すぎる。実際ライブドアブログにアップロードした画像とか記事内のリンク全部直さないと出し無理だわ。

 というわけで数件の記事をはてなブログからこっちに手動でマージした。今後はまたここでもにょもにょ書こうと思う。

ふと「変わるビジネスリュック」と今使っている「Incase City Collection Compact Backpack」を比べて、なんで前者を買う気がしないのかと考えた。PC入れるスリーブの有無以外そんなに変わるものでもないんだが、やっぱ「変わる〜」は圧倒的にかっこ悪いと思うんだよな。なんかいけてない。とりあえず角ばらせればいいってわけでもないと思うんだ。そのほうがスペース効率はいいのかもしれないけども。こういうのはデザインの力の差なのかなと思う。

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 2017年になった。昨年は転職で始まり次女の誕生で終わった年だった。基本的には妻の妊娠・出産があったためそのサポートに精を出したつもり。仕事的には3月に元職に復帰して、まだまだ入口である。やりたいことは多くて、でもどうやるかわかっていないことも多い。立場的には秋から執行役員になったので、求められるものが多いと感じている。  そんな2016年が終わり2017年。せっかくなので今年はブログを復活させたいと思う。まあ目標は週一回で、最低月一回。これをベースの目標にあと思いつくのは下記の通り。 続きを読む

 最近、こういう貢献ができたらいいのに、というスタイルを知った。プロボノというスタイルなんだけど、wikipediaだと下記のように書いてある。
プロボノ(Pro bono)は、各分野の専門家が、職業上持っている知識・スキルや経験を活かして社会貢献するボランティア活動全般。また、それに参加する専門家自身。 -Wikipedia-

 まぁこれを実現するにはまず俺のスキルで手伝える環境があるのかって話になるんだけど、そこはおいておいて、自分の持っている仕事上のスキルを別な使い方をすることで社会貢献ができるっていうのは理想といえば理想。

 東北・東日本大震災からこの3月で5年になった。まだまだ復興は途上で、地域によってはいまだに将来像を考えられないでいるところもあるみたいだ。あの、2011/3/11から今日までの日本を考えると震災の直接的な人的・物的な被害や福島第一原発の事故など明らかにこの国の空気が変わってしまったことを感じる。

 そのことをTBSラジオ「Life」の Podcastの震災前後の放送内容とのギャップから結構感じていて、今でもたまに震災前後の話を聴き直すことがある。とくに震災前は例えば2010年の10月末は「情報社会の限界(ギリギリ)ライン」というテーマで津田氏が「俺が死んだらbotになる」とか言ってて面白かったし、直前、2月のテーマも「ふぞろいのグローバル化」で、身の回りのグローバル化について語るみたいなことになっていた。それが震災以降は明らかに傾向が変わった。3月は「このメディア環境を生きる」で4月は「ポジティブの現在/ネガティブの未来」。番組の内容も非常に変化した(してしまった)ように思う。

 ただ、変化自体は時代・環境が変われば当然なので別にいい。番組の問題というよりはむしろ日本社会が変わったからそれに合わせてるということなんだろうと思うから。
他にもゲンロンをやってる東浩紀氏も以前どこかで震災前後で変わってしまった、という話をしていた気がする。ゲンロンのまえ、コンテクチュアズのころから「しそちず!」とかぬるい、というと聞こえが悪いか、私のようなライトな人にもとっつきやすいネタがあったけど、今は結構がっつり思想誌になっている。そこに至るまでにはいろいろとあったみたいだけど、時代的に「この厳しい状況でぬるいネタやってるなんて不謹慎だ」とかいうやつが出てきそうな空気が反映しているんじゃないかなーとか。
こんなことをモヤっと考えることがたまーにあるんだけど、こういった震災前後での言論環境の変化とかはもうちょっと時間が経つと検証されるのかねぇ。

 小学生くらいの頃から松本零士の『戦場まんがシリーズ』が大好きなのだが、その中に
いろんないい銃があっても俺には関係ないんだ。この三八式と一四年式が俺にとっては最高の銃だ。世界一と信じているんだ…
意地でも信じているから、ここで、一人で戦争してるんだ。
もし、あんたらが外国の、もっといい銃や、いい戦車について知ってたんなら…
なんで、そんなのを相手に戦争をおっぱじめたんだ!?
いまごろこんなもんといわれても手遅れだ!!
いいか、これは、この世界でいちばんいい銃だ! いちばんすぐれた小銃なんだ!!
おれには、これしかないんだ! だから、これがいちばんいいんだ!!

という台詞がある。とても悲しい台詞だと思うんだけど、ソフトウェア業界でもこういう人や会社があるなあと思った。その先はもう死ぬしかないのでこうならないように日々気をつけないといけない。

 このブログ、ダラダラ続けてたら10年たってんのな。途中何回かプラットフォーム変えているけど、とりあえずここで見られる最古のログは2005年11月から(10月はプロフィール)書いてるのか。途中1,2ヶ月空いてたりもする 、ていうか最近は全然こっちに書いてないけど、まあよく続いてるねと。特に何も考えずダラダラ書いてりゃいいんだよな。脳内メモ垂れ流し的な感じで。

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