何の話
『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』を思い返して考えたこと。庵野秀明監督と宮崎駿監督の表現の違い的な。
「 方舟」と「墓所」
シン・エヴァをみたわけです。それについてぼんやり思い出していたのだが、劇中、加持が管理してたという「方舟」がでてきた。あれについて思い出していたらあぁ、これは宮崎駿『風の谷のナウシカ』の「墓所」と似ているなと思った。まあ「墓所」はもっと広く、なんなら種としての人間も保存していたり、保存した種を復元をする方法も残している。なのでちょっと立ち位置が異なるのかもしれないけれども。
庵野秀明監督と宮崎駿監督
一方で扱いはこの二つの作品で全然違っていて、ナウシカでは彼女が「墓所」を否定し、最終的には巨神兵によって破壊される。それは私にはむしろ諦めない強さ的なものを感じさせた。他方、シン・エヴァでは加持は既に死んでる設定なので詳細不明だけど、残されたミサトが大事に「方舟」を人類の最後の希望のように管理してる。
ここで「結果滅びようともどうするかは俺らが決めるから、お前ら余計なことするな」感がすごい宮崎監督の表現と、「自然、動植物、種を大事に次の世代のために残しましょう」的な庵野監督の表現との違いを感じたわけなのだが、もちろんただのヲタのこじつけなので根拠なんてない。
が、しかし例えばとある社会学者の人が『庵野監督がシン・エヴァで官僚的努力を称えている』『ナウシカは制度破壊的な欲動が感じられる』などと言ってるので、完全に的外れでもないかなぁとも思う。
そしてここまで読んで「ナウシカに墓所なんてあったっけ?そんなシーン見た覚えがない」という方。あなたは信仰心が圧倒的に不足しているので、おもむろに下のリンクをクリックして漫画版を買え。