ありがたいことに私の狂気は君達の神が保証してくれるというわけだ よろしい ならばよろしい ならば私も問おう 君らの神の正気は一体どこの誰が保障してくれるのだね? 平野耕太「ヘルシング」四巻

これはヘルシングの"少佐"の台詞なのだけれども、アメリカの世界への関わり方とか、宗教の問題なんかを考えるときにいつも浮かぶ台詞だ。力を行使しようとしている人のその裏付けって言うのかな、そういうのを考えちゃうんだよね。これは何もアメリカとかだけじゃなくて公権力についてもそうだし、個人が他人とコミュニケーションとるときにも当てはまるんじゃないかと思うんだけど、少なくとも無自覚じゃいかんと思う問題なんだよなあ。
 今はうまいこと文章に書けないからこれだけにしておくけど、これは俺的には大きな関心事。