先日、仙台に行ってきた。私は小六から高校まで7年程仙台に住んでいたのだが、震災後に一度も行っていなくて、やっと。本当は去年の内に行きたかったが、行ってもただの野次馬だよなという気持ちと、いざ現地に行って思い出の場所がめちゃくちゃになっているのを見るのが怖くて行けなかった。しかしとはいえ自分の感情をそのままにしておくこともやっぱりできず、今回の仙台行きとなった。そういうわけでメインは名取市の閖上港の状況を自分の目で確かめることに決め出発。仙台からはレンタカーを使って閖上港のすぐ近くに移設された日和山富士主姫神社まで行ってみた。ちなみに仙台市中心部からは近い。電車では行けない場所だけどくるまなら数十分でおk。

 あ、仙台に住んでいたからって名取は別に普段行くような場所じゃないよ。でも、現地は私が初めて泊まりがけのサイクリングに行った思い出深い場所だったのだ。中学校にはいる直前の春休みに、友人と二人で名取のサイクルスポーツセンターまで行った。そこでは仙台の街中に比べ小さな漁港と防風林があり、今でもその夜窓の外から聞こえる波の音がなんか怖いなーと思ったのを覚えている。

 あの頃からもう25年。良い歳になって再度訪れた場所で見たのは、一面真っ平らな茶色い景色。家々の瓦礫は既に撤去され、一カ所に積み上げられ、処理の順番を待っているようだった。また墓石もかき集めて一カ所にまとめてあった。遺骨は流れてしまったのだろうか、それとも遺骨もまた集められているのだろうか…。そして港のそばには瓦礫処理施設が土曜日にも関わらず稼働しているようで、たまにダンプが出入りしていた。そんな光景のすぐそばにある目的地の神社は、その地域ではほんの数mだけ地面が盛り上がっていて高い場所なんだけど、階段を登ると、かなり見晴らしが良くなってしまっていて、近辺を見渡せてしまう。というか近辺というよりかなり遠く仙台市方面まで見えてしまう。建造物がかなりの範囲で無くなってしまっているためだ。そこでは周りをぐるっと見渡しても人が住んでいたことを示すのは道路と、家と家の間の塀の基礎部分くらい。また近くの一部の民家の前には花も供えてあった。

 まあこの光景自体は実際のところ報道で知っていたし、予想通りに光景ではあったけど、その異常さには比喩ではなく言葉を喪ってしまうレベル。道路脇には未だに小さな漁船が放置されているし、道路も路肩の側溝部分が無くなっていて運転に気を使う感じだった。それと、もちろん全壊を免れた家屋もあり生活を続けておられるようだったりとか、家を建て直したとおぼしききれいな戸建もあった。が、基本的にもうなんにもない。

 そういった<知っていたはずの光景>を、いざ実際目にすると、やはり喪ったもののあまりの大きさにちょっと思考が止まる。たった一部を見ただけでこれだから、震災後取材などで被災地を飛び回った人の精神力はすごいな。これが岩手から福島までの沿岸部で展開されてしまった光景かと思うとちょっと耐えられない。

 というところで今回は名取からあとは塩竈=>松島といって仙台に戻ったんだけど、あの光景を見たからってその後の私の日々の生活に何の変化も無い。無いが、日曜日に帰宅してから、東日本大震災のもたらした喪失の巨大さについて思いを巡らせるのに、現場をちょこっとでも見ることは決定的に重要な経験だったと思い至っている。

 以上、つらつら書いてみたがオチが付けられ無くて、これ以上確と感情的になりすぎると思うのでここまで。これが私の今の精一杯ということで勘弁して下さい・・・。