例年やってる「今年の漢字」だけど、今年は『絆』だそうで。このうさんくささ、たまらない。いや、震災後ずっとそんな感じになってるけど、俺的にはあり得ん。だったら『災』の方があってるだろ。なんで無理に前向きにするの?馬鹿なの?死者を悼む気持ちないの?死者はもういなかったことにするの?と思ってしまった。で、俺としてはやはり『喪』かな。喪失の『喪』で喪に服すの『喪』。東浩紀氏が「思想地図」で「震災からの復興には"沈うつな時間"も必要」と書いていたように、まず私たちが喪った物に目を向けようよ。

 この東氏の話なんだけど、実は俺も震災直後に同じようなことを思っていた。それはあの3月下旬とかのちょっとなんか被害の全容が分かってきたような時期のことで、津波で何もかも消えた東北の港町の風景をテレビで見ていた時。それを思い出しながら街を歩いていた時。正確にはその瞬間までは覚えていないんだけど、そのとある時に、昔辻仁成がやってたバンド『エコーズ』の"Shout"って曲の歌詞にあった「落ち込むときには落ち込まないと、立ち直ってばかりじゃ成長しない」というフレーズを思い出したのだ。このフレーズは初めて聞いた中高生の頃からなんだか気に入っていて、1990年頃の曲なのにまだ覚えてる。

 で、この感覚は結構大事だと思っていて、震災の被害は被害として残された人間は日々を生きていかなきゃいけないわけで、切り替えなきゃいけないのは分かる。それ自体は至極もっともなんだけど、でも、その前にいったんちゃんと落ち込んで、喪失感をきちんと刻み込んで、そこから再起動しようよと。いや、「もう既に震災で俺らは落ち込んでるんだよ」という被災地の方々の気持ちも分かるけど、正直なところ東京に住む俺らは地震があった金曜日から週末はさんで月曜日には電車に揺られて定時で仕事をしていた訳で落ち込んでる時間が無かった。それも変に落ち込みすぎるのが防げてよかったって考えがあるのも分かる。

分かってて、でも、それでも。

・・・しかし世間じゃ春からもう「頑張ろう日本」なんつって復興だー、とかやっているわけです。それを見ながら俺はずっと「まずはきちんと立ち止まって喪ったもの、これから喪うものに思いを致す。そういうのがいるんじゃねーの」と思っていたのだ。で、とどめは「絆」ですよ。ばかじゃねーの。マジで頭が沸いてるに違いない。マジでこんなんだったらゴルフの石川遼が言った「波」の方がマシだろって。ちなみに阪神淡路大震災があった1995年は「震」だった。1995年は地下鉄サリン事件があったりもした年だから、地震だけじゃないんだろうけど。でも、どうしても「でもさ」と言わせて欲しい。

という訳で長々書いていたのは先日深夜に震災時の映像/写真を見て泣いた後に「今年の漢字は『絆』です」というニュースを聞いて一人で切れていたからです。気分を害した方ごめんなさい。


今年の漢字を発表してるところ=>財団法人 日本漢字能力検定協会
エコーズ
※「シャウト」は最後のアルバム『EGGS』の10曲目に収録。でも今はもう買えないかも。